大佛次郎は昭和に活躍した、流行作家。年配の方にとっては馴染み深い作家です。鎌倉の大仏の裏に住んでいたから「大仏・・・大佛次郎」とペンネームをつけた、お茶目な作家ですが、残念ながら今の若者にはほとんど知られていません。入館者に占める若い世代の比率は少なく、このままでは先細り・・・。
どうしたら、もっと若者に足を運んでもらえるのだろうか?それは若者に考えてもらうのが一番いいはず!そんなことから、横浜市、横浜市芸術文化振興財団、NPO法人ハナラボが「若者の地域参画による大佛次郎記念館の活性化プロジェクト実行委員会」を立ち上げました。しかも、このプロジェクトは平成25年度文部科学省「公民館等を中心とした社会教育活性化支援プログラム」でもあるのです。
大佛次郎
大佛次郎(おさらぎじろう)は、横浜に生まれ大正から昭和にかけて活躍した作家。代表作は「鞍馬天狗」や、「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」・・・みなさんのお父さんお母さんなら知っているはず(聞いてみてね)。何度も映画やドラマ化されていて、メディアミックスの先駆け的作品としても有名なんです。一方で、1960年代から欧米やインドにも足を運んで時代の最先端を捉えつつも、冷静に時代を見極めて伝えてきた一面もあります。日本で初めてナショナル・トラスト運動を紹介し、鎌倉の環境保全活動にも力を入れていました。そしてなんといっても、猫が大好き。つねに10匹以上の猫が家にいたとか。
人
記念館としての予算が減り、事業数や来館者数も開館当初より減少。膨大な資料管理や研究を進めながら、少ないスタッフで運営しなければなりません。2013年度は没後40年記念事業でにぎわっていますが、未来へ向けた若い世代へのアプローチは道半ば。一方で、記念館のスタッフは専門性が高く、大佛次郎への愛情も深い。スタッフの知恵こそが、記念館の大切な資源と言えます。
建物と立地
大佛次郎記念館は港の見える丘公園にあります。周辺には西洋館が建ち並び、フランス風庭園やバラ園が目を楽しませてくれます。設計者は、著名な建築家である浦辺鎮太郎。内部にはステンドグラスやモザイク画が施され、窓ガラスや壁にも一つひとつこだわりのある美しい建築物です。一方で、みなとみらいができたことにより、かつては観光客で賑わった、港の見える丘公園に来る人そのものが減っています。
知名度
年配の方には知られている大佛次郎ですが、残念ながら若い世代にはほとんど知られていません。大佛次郎の知名度を上げることを目的にするよりも、記念館に何度も足を運んでもらえる仕組みを作ることが重要です。
日本中に点在する、作家をテーマにした文学館。その多くが、来場者数の減少に悩んでいます。港の見える丘公園に佇む、大佛次郎記念館も同じ。大佛次郎は、横浜生まれで横浜をこよなく愛した作家です。著書がドラマや映画になり、1978年の開館から最初の10年間は来館者数が10万人を超えていました。しかし、2012年度は1万5000人ほどに減少。
立地も建物も魅力的。大佛次郎スピリットは現代にも通じる。でも、大佛次郎を知る人は減り、現代の人々との間には距離が広がっていくばかりです。一方で、記念館のスタッフは少なく予算も限られるため、お金をかけたPRや、大掛かりなイベントをする余裕はありません。
大佛次郎スピリットを次世代に伝え、記念館が地域とつながり市民と協働するためには、どんな仕掛けが必要でしょうか。一時的ではなく、継続的な活性化につながるアイデアを考えてください。アイデアの条件は3つです。
- 大佛次郎スピリットを感じるものや「大佛次郎記念館」という場だからこそできるもの
- 地域とつながり、市民と協働できるもの
- お金をかけずに実施できるもの(もしくはお金を集めればできるもの)
アイデア提案フェーズは5/22〜6/30の約1か月半、アイデア実行フェーズは7/1〜10/27までの約4か月。学生たちは試行錯誤を繰り返し、記念館のみなさんを始め多くの方の協力を得て、プロジェクトを実行しています。10月27日の報告会には60名ほどが集まっていただき、たくさんのアイデアをいただきました。
オリエンテーション
関係者にインタビュー
フィールドワーク
課題発見・アイデア発想ワークショップ
専門家からのアドバイス
中間プレゼンテーション
意見交換ワークショップ